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周期表とは -周期表の発明-
化学反応を人に伝えるとき、周期表に遡ることがよくあります。そこで、周期表をテーマにした記事シリーズをみなさまにお届けします。
周期表の発明
下は仕事で使うPCのデスクトップ。直ぐ見られるところに周期表がないと落ち着かないため、自作して壁紙にした。
頻繁に分子量を計算することも、毎日モル濃度を計算するというわけではないが、見えるところにあると落ち着く。
周期表は化学で最初に習い、最後まで使う。化学の基礎であり全てと言っても過言ではない。化学の使徒にとっては、バイブルとも呼べるべき存在と思う。(私見)
この周期表を発明したのは、メンデレーエフとされている。
日常の道具として用いるため、ここでは発見、発案、作成ではなく、敢えて「発明」と表現する。
ドミトリ・イヴァーノヴィチ・メンデレーエフ
1834-1907年 ロシア帝国
1869年 「元素の性質と原子量の関係」を発表。原子量順に元素を並べると、性質に周期性が見られる。
1869年は明治2年。日本では戊辰戦争が終結し、明治維新の終わりごろ。
発表当時の化学界では懐疑的な扱いだったが、空欄部分に相当する元素が次々と発見されたことで重要性が理解されるようになった。
メンデレーエフの周期表は、未知元素の存在を予言したとも言える。
1865年にイギリスのジョン・ニューランズと1869年にドイツのロータル・マイヤーが類似の内容で発表しているが、完成度の高さから「周期表はメンデレーエフによる」とされている。
メンデレーエフの生きた時代は、科学が目まぐるしく発展した時期でもある。
1865年にメンデルが遺伝の法則を発表している。(若干お名前が似ているので間違えないようご注意ください。)
1877年には火星の溝が発見され、1885年に自動車と1903年は飛行機が発明された。
最初の周期表
左は最初の周期表(1869年)。
今と行列が逆に示されており、貴ガスは無い。メンデレーエフが存在すると予想した元素を赤枠で示す。
質量順で並べるとテルル(Te)とヨウ素(I)の性質に矛盾が生じたこと表す「?」が付いているのが興味深い。
当時は元素を構成する原子核と電子の概念がないため、この矛盾をメンデレーエフは解決できていない。
新たな元素の発見により周期表は拡充され、原子構造の解明により周期性が現れる理由も明らかになった。
周期表はメンデレーエフによって着想されたが、代々の科学者による共同作品とも言える。
周期表変遷
この3つは、いずれもメンデレーエフ作成の周期表。
(中央 1871年) 2作目から行列が入れ替わり、現在に近い形になった。ヘリウムなどの貴ガスは未だ記載されていない。
(右 1903年) 少し間が空くため3作目かは不明だが、概ね現在と同等の形になり貴ガスとラジウムなどが追加されている。
1894年にアルゴン、1895年にヘリウム、1898年にネオン、キセノン、ポロニウム、ラジウムが発見されている。
メンデレーエフと日本
1891年、ロシアからニコライ皇太子が来日した。左写真の人力車上がニコライ皇太子(後の皇帝ニコライ二世)。
この時、メンデレーエフの息子ウラジミールが随行している。ウラジミールは写真技師だったため、左の写真はもしかすると彼が撮影したかもしれない。
ウラジミールは大津事件の関係で長く滞在したらしく、日本人女性のヒデシマタカさんとの間にフジという女の子を授かっている。肺炎でウラジミールが亡くなった後は、メンデレーエフが仕送りし母子の生活を支えたそうです。
意外にも周期表と日本には縁があり、ロマンを感じませんか?周期表を身近に感じていただければ幸いです。
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