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かおりのある風景
愛知県半田市のかおり
1.はじめに
「かおり風景100選」をご存じですか?
2001年、環境省は全国の良好なかおりとその源となる自然や文化を保全・創出する地域の取組みを支援する一環として、かおり環境の特に優れた100地点を「かおり風景100選」として選定しました。100選は、花や樹木、潮風、温泉、みかん・カボス・りんご等の果物などの自然のかおりのほか、にかわ、墨、線香などの伝統工芸、茶、塩わかめづくりなど地方の特産などの様々なかおりが「かおり風景」に選定されています。
2.愛知県半田市のかおり
気になる愛知県のかおり風景は「半田の酢と酒、蔵の町」が唯一選定されています。半田市は江戸時代から酒造りが盛んで、その製造過程から生じる大量の酒粕を利用して造る粕酢は江戸の握り寿司によく合うと人気があったそうです。現在でも酢と酒造りは盛んに行われており、特に酢工場付近を歩くとほのかに酸っぱいかおりが漂ってきます。そのかおりは黒板囲いの醸造蔵とその周辺の景観を構成する一つの重要な要素となっています。
「酢と酒」はおいしい料理に欠かせなく、酢はさわやかな酸味、うま味、コクをもたらし、食欲を増進してくれます。また、酒はコミュニケーションを円滑にしてくれますし、中にはストレス解消の相棒にされている方もいらっしゃいますね。
さて、当社は分析会社として環境汚染の予防・早期発見のお手伝いを業務のひとつとして担っています。通常の業務は不快な臭いを対象とする分析がほとんどですが、今回珍しく良いかおりすなわち半田市の「蔵の町」の景観に欠かせない「酢と酒」のかおりと半田市の環境大気を、理化学的に分析して比較します。酒は、半田市でよく造られ酢の原料にもなる清酒(日本酒)を取り上げます。
今回、使用する分析機器の一つは「加熱脱着-ガスクロマトグラフ質量分析計(TD-GC/MS)」です。これは、サンプルガスの導入量によりますが一般的なガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)の約10,000倍の検出感度を有します。本機器は、通常の環境分析に使用されず、専ら工業製品の研究開発支援として活躍しお客様から多くのご依頼を頂いている分析手法に用います。当社は、これまでに本機器を使用した環境大気成分分析の機会があまりなく、今回が初めての試みとなります。果たしてどんな結果が出るのでしょうか。
3.かおりの試験方法
3.1 試料
分析に用いた試料を表1、表2及び図1に示します。
3.2 分析方法
清酒(純米大吟醸酒、本醸造酒)・食酢(米酢)は、それぞれ10mLをバイアル瓶に密封し、ヘッドスペース-ガスクロマトグラフ質量分析法(HS-GC/MS)を用いて揮発性のある有機成分を分析しました。また、環境大気(酒工場近傍及び、酢工場近傍)はマイラーバッグに5L直接捕集しました。捕集した環境大気は吸着剤TENAXの充填されたガラス管(吸着管)に通気し有機成分を吸着濃縮した後、加熱脱着-ガスクロマトグラフ質量分析法(TD-GC/MS)を用いて分析しました。今回使用した測定器具及び装置の一部を図2に示します。
4.かおりの分析結果
4.1 清酒
純米大吟醸酒(精米歩合40%、醸造アルコール無添加品)と本醸造酒(精米歩合65%、醸造アルコール添加品)は香気成分として、共に酒の主成分であるエタノールのほか、n-プロパノール等のアルコールや酢酸エチル等のエステルが検出されました。これらの成分は主に酵母によるアルコール発酵中に生成され、組成バランスが酒それぞれの個性的なかおりに繋がると考えられます。その中でも吟醸香は特徴的です。代表的な成分に酢酸イソアミル、カプロン酸エチル、カプリル酸エチルが含まれ、バナナやリンゴなどフルーティーな香りをもたらします。図3のクロマトグラムから、カプロン酸エチルは純米大吟醸酒に圧倒的に多く含まれています。一方、酢酸イソアミルは本醸造酒に多く含まれています。この図3に示す「特定悪臭物質」は、悪臭防止法に指定された物質です(表3の※6も参照下さい)。
「吟醸香」とは?
米を原料としている清酒が放つ花や果物の香りを一般的に「吟醸香」と呼び、酵母によって造り出されます。アルコール発酵中は麹による糖化がゆっくり進み、酵母は糖が不足している状態にあります。また、精米工程で大部分の糠を削り取るためタンパク質などの栄養成分が少なく、極低温で発酵させるため酵母に多くのストレスがかかります。そのため酵母の代謝に異変が起こり、果物香のもとであるエステル類を生み出し、「吟醸香」となります
単純に精米歩合を低く抑えれば吟醸香がより多く生産されるわけでなく、アルコール発酵に使用する酵母の種類や発酵条件も要因の一つと考えられます。また、本醸造酒に添加されている醸造アルコールが酵母や米に吸着しやすい吟醸香を溶かし出す効果があるため、本醸造酒は純米大吟醸酒より多くの酢酸イソアミルを含む可能性も考えられます。
4.2 食酢
図4より、食酢は酢っぱいかおりの主成分である酢酸のほか、エタノール、アセトアルデヒド、イソバレルアルデヒド、酢酸メチル、酢酸エチルが検出されました。これは酒を原料に酢酸発酵させたため清酒同様の成分が検出されたと考えられます。
4.3 環境大気
図5及び表3より、酒工場や酢工場周辺の環境大気から、酒や食酢由来のほか、植物由来あるいは自動車排ガスや周辺工場等由来と考えられる成分が確認されました。主に植物由来として、アルデヒドであるオクタナール、ノナナール及びデカナールの3成分、主に自動車排ガスや周辺工場等由来として、トルエン、エチルベンゼン及びキシレンなどの13成分が確認できました。環境大気を採取した酒工場と酢工場は直線距離で約300m離れており、それぞれ清酒や食酢由来と考えられる成分を除きほぼ同等な検出成分とピークパターンが得られました。この周辺地域の主要なかおりは、検知閾値を超えたオクタナール、ノナナールおよびデカナールの3成分となっていることが分かります。
5.おわりに
子供の頃、細いストローの先端に透明なガムのようなものをつけて膨らませて遊んだ経験はありませんか?あの風船玉(図6)の臭いが特定悪臭物質である酢酸エチルです。
この臭いは好き嫌いがあるでしょうが、決して食欲をそそるかおりではありませんね。しかし、清酒や食酢の香りに特定悪臭物質が含まれているからといって、そのかおりを不快に感じる人はあまりいないと思います。なぜなら多くのかおりは単一成分でなく複数の成分から構成されており、悪臭物質のみの場合不快な臭いでも他の香気成分にマスキングされたり、「悪臭物質+他の香気成分」により新たな質のかおりを生み出すことがあるからです。
ところで、半田市の環境大気を採取する際、酒工場や酢工場周辺のかおりは、その場の雰囲気によく合って心地よく感じました。しかし、その大気を持ち帰って嗅いでみると、決して良いかおりでなく何だか変な臭いに感じたことが印象的でした。このかおりは、半田市の「酢と酒」の歴史背景や名産品としての知名度、醸造蔵を中心とした町の景観があってこそで、これらが一つになり初めて『半田市のかおり風景』として成り立つと思いました。
参考文献
1.吉澤淑:“酒の科学” (1995) 朝倉書店
2.飴山實、大塚滋:“酢の科学” (1990) 朝倉書店
3.日本福祉大学知多半島総合研究所、博物館「酢の里」:
“酢・酒と日本の食文化” (1998) 中央公論社
4.木村克己:“日本酒の教科書” (2010) 新星出版社
5.酒文化研究所:“うまい酒を科学する事典” (2010) ナツメ社
6.(独)酒類総合研究所:“お酒のはなし 清酒Ⅲ”
酒類総合研究所情報誌(平成22年2月1日 第15号)
7.小川理恵ら:“県産清酒の品質調査~平成16年度奈良県清酒品評会出品酒
(市販酒)の品質~” 奈良県工業技術センター 研究報告No.31 2005
8.梅本雅之ら:“加熱脱着GC/MSによる緊急時における環境汚染物質のナノレベル多成分同時分析の検討”
山口県環境保健センター所報第51号(20年度)
9.環境省:http://www.env.go.jp
10.きた産業㈱ Tips for BFD 清酒のにおい・かおりとその由来(その1):
http://www.kitasangyo.com/e-Academy/b_tips/back_number/BFD_26.pdf
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